伝道ジャーナル
2025年 巻頭言
「祈りと叫びの年」~聖霊の火🔥~
理事長: 天野 弘昌師
今年2025年の標語は「祈りと叫びの年」です。
皆さんは『祈りと叫びの祈り』を今もされていらっしゃるでしょうか?実は教会でもこの事を勧めたら、早天祈祷に来られた方が、いきなり叫び始めたのです。静かな早天の時間に「ヒャー!」と叫んだ為に、他の人たちが祈りづらくなりちょっとした問題が起きました。「もう少し、静かにお祈りしてくださいませんか?」すると、その方は「天野先生が『叫びなさい』って言ったので叫んでいるのに、何か問題でしょうか?」と。ただ叫べば良いのではありません。愛と御霊の秩序と一致の中、その上で祖国のリバイバルを祈り求めていくと理解され落ち着きました。ハレルヤ!!
さて、祈りには「3つの『あ』」が必要です。⑴あきない ⑵あせらない ⑶あきらめない 是非、この事を覚えてお祈りくださると幸いです。第一列王記の18章に、預言者エリヤの記事があります。バアルと、アシェラの預言者達とエリヤとの戦いです。エリヤはたった一人で、850人を敵にして戦いました。エリヤの信仰的な祈りにより、火が下り、大勝利を得ました。
かつて米国の田舎スミストンで牧会していた、スティーブ・グレーという先生が、ペンサコーラのリバイバルに、飢え渇いて出かけました。その時、その先生自身には深刻な夫婦問題、家族問題、教会の問題の、三重苦だったようです。しかし「人には出来ない事も神には出来る」と信じて、あきらめずに祈り、かの地に向かいました。残念ながら、リバイバルを導いておられる先生方からは、手を置いて祈ってもらえずに帰宅したそうです。しかし、主が直接働かれたのです。その時以来、夫婦、家族の問題が解決に至り、その上教会にリバイバルが始まりました。主はどれ程、人々を愛し、必要を満たし、真実なお方なのでしょう。
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(Ⅱ歴代誌16:9)
初代教会は、なぜ凄い勢いで宣教が前進し、拡大したのでしょうか?その理由の一つは、主の弟子達を中心に、しるしと不思議が行われた事ではないでしょうか?前もって主は弟子達に伝えていた注視すべき点があります。「そこで、イエスは彼に言われた。あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」(ヨハネ4:48)ユダヤ人が、頑な霊的な状態であった事が指摘されています。ですから、主はラザロの生き返りの御業をも現したのではないでしょうか?
それは紛れもなく、「この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、」(ヨハネ11:42)と書いてあるように、『ユダヤ人が救われるため』なのです。その結果、「そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。」(ヨハネ11:45)と記録されています。
初代教会は、主の成された御業を同様に行うことができるということが、約束されました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)そこで使徒たちは、「御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください。」(使徒4:30)と求めたのです。パウロも、「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(Ⅰコリント2:4)と告白しています。
このように、しるしと不思議が伴うときに、人々は、「come and see!!来て、見てください。」と言うようになるのです。これは神によってなされたのだ!と証明されたら、誰も否定出来ないのです。私達も初代教会に原点回帰して、もう一度、主を見上げて聖霊運動を進めていこうではありませんか?? アーメン ハレルヤ❣️
2024年 巻頭言
「告白を引き出されるお方」
伝道局長: 澁谷 友光師
そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」【ヨハネの福音書 5章 5、6節】
私たちは、長い間良くない状況が続いていたり、何度祈っても答えられない時、積極的であったり肯定的な言葉を発せられなくなり、否定的でうつ的な告白になってしまうことがあるかと思います。そのような私たちの告白を変え、信仰を引き出し、神の御業を表すことを願ってくださっておられるお方が、私たちの主であることを感謝したいと思います。
前記のみ言葉は、エルサレムのベテスダの池で38年間も病の故に横になっていた男に近づき語られたイエス様の様子です。
「ベテスダ」とは「哀れみの家」との意味ですが、そこには根拠の無い言い伝えがあり、ギリシャ神話の医学の神が祀られてもいました。しかし、そのような虚しいものにしがみ付いているようなこの男に、イエス様の自ら声をかけられたのです。本当の「哀れみの家」は、哀れみの神である主が居られて、初めてそうなるのです。
全てをご存知であるはずの主が、この男に「良くなりたいか。」と声を掛けておられます。その意味は何でしょうか。38年もの間病の中でふせっていたこの男から、主を信じ期待し癒される信仰での「告白」を聞きたいが故の問い掛けであったと見ることができます。
学校の教科書ではキリスト教の日本への最初の伝来は、「1549年にカトリック教会の修道会であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルによる布教」とされています。そこから数えるなら、日本の宣教は475年です。病んでいた男の「長い間そうしている」とのことが、遅々として進んでいない日本の宣教の状況を思わされます。しかし、その男を見つめたイエス様の愛と哀れみの眼差しは、今この日本の教会に向けられていることを覚えようではありませんか。そして、日本の教会にも主は問われるのです。「良くなりたいか」と。
「告白」と訳される聖書の原語を調べると、「賛美」「祈り」を含め「神への信仰の現れ」「主を信じ従う、信仰の契約」を意味することがわかります。
"なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」"【ローマ人への手紙 10章 9~11節】
私たちは主を信じ、大胆に告白しましょう。「主よ。あなたはこの日本を愛してくださって、全ての日本人の救いを願っていてくださるお方です。ですから、日本の教会に豊かな油注ぎを与え聖霊で満たし、日本にリバイバルをもたらし、多くの人が救われる神の栄光の御業が起こされると願い信じます」と。
イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」(ヨハネ5:8)の、「起きて」は、復活を意味する言葉であります。死を打ち破り、栄光の姿に甦られた主だからこそ、復活を命じ立ち上がらせてくださる主であることを賛美したいと思います。ハレルヤ!
2022年 巻頭言
「新しい力を受ける」イザヤ40:28~31
総務局長: 天野 弘昌師
リフレッシュカンファレンスに参加する時に、青い海、青い空の沖縄を満喫しよう!!と期待して参加しました。ところが直前の諸事情により、開会メッセージを担当する事になり、凛と緊張感が走りました。真のリフレッシュとは?と問われ、祈りの中で与えられたのがこの聖句です。
イザヤ預言は『慰めよ、慰めよ、わたしの民を』主からの慰めのメッセージです。また良き訪れを伝える事こそ真の希望に至ると語ります。この聖句の中で、特に注目したいのは31節です。『走ってもたゆまず、歩いても疲れない』と。えっ、そんな事が、現実の地上の歩みの中にあるんだろうか?むしろこれはメシア王国、神の国、千年王国、栄光のからだの事?と、解釈する事もあるのかもしれません。
しかし先日教会に招聘した、巡回されている主の御器に圧倒されました。89歳という年齢ですが、少しもそれを感じさせない立居振る舞いでした。その理由を確認したら、次の3点を伺いました。
⑴ 1日、350gの野菜を食べる事。
⑵ 1日、一万歩以上を歩く事。
⑶ 1日、聖書と祈りの時間を持つ事。
これが、師の隠された秘密と聞きました!!大病を患った60代から、今に至るまで続けていますと。福音宣教の為に生かされる時に刷新され、主の力に満たされるのではないでしょうか?
イスラエルの民はエレミヤの預言通りに、バビロン捕囚から解放され、喜び勇んで帰還しました。しかしその後、民は混乱に巻き込まれてしまいます。すると新たな目標設定をし、民を奮い立たせようとしたのが祭司エズラや指導者達でした。それでも妨害や生活苦に陥り、気力さえ萎えてしまいます。まさに牧会伝道者も陥る、教会等の問題にも類似しているように思えてなりません。では、いったいどうしたら真の意味で解放され、霊的にリフレッシュされるのでしょうか?
イザヤ書は、40:31で『新しく力を得、鷲のように翼をかって上る事ができる。』と記しました。この『新しい力』とはまさに異次元の力(刷新)→ヘブル語(ホーアッハ:権力、権能、能力)なのです。では、この『新しい力』は、どのようにしたら私達に与えられるのでしょうか?
それは明確に、『主を待ち望む者は!』とあります。(ホーアッハ→ハーラフ(使役形):衣替え、重めの服を脱ぎ着替える。)と。それ故に、『走ってもたゆまず歩いても疲れない(力)』になるのです。アーメン!!私達に最も必要なのは、この異次元の天的な力の賦与だと信じます。
さらに『鷲のように翼をかって上ることができる』この『翼』は文字通り、異なった羽(カーナフ:神のことば)です。神のことばの権威と力によって、新たに変えられる。あたかも青虫が蛹になり、そして美しい蝶に羽ばたくように。
かつて重責とストレスの中、あまりにも忙殺されたゆえに、体調に異変を来し、心身共に疲弊しました。燃え尽き、鬱的な症状なのかなぁ?とも案じました。そんな折にある先生からの誘いで、米国の神学校に暫く滞在しました。その時に私の状態は、燃え尽きや鬱ではなく信仰的転換期です!!と診断されたのです。本当に心が軽くなり帰国しました。
専門の教授が、鷲の生涯についても語られました。鷲には2つの選択肢があり、1つは40年位してそのまま死ぬか?それとも一新して意気揚々と生かされるか?このチャレンジを信仰的に受け止めました。するとその時を起点に、心身共に徐々に良くなり始め、今日に至ります。牧会伝道に携わる先生方は、是非この新しい力を受け、刷新される必要があるのではないでしょうか?
さらに主を待ち望み、霊的にもリフレッシュされますようにと心からお祈りします。
2021年 巻頭言
「WITHコロナ時代の伝道を考える: 本質を失わず、新しく始める」
国内伝道部長: 姜 一成 師
今私たちは、ウィズコロナ、ポストコロナ時代を見据えてこれからの伝道を考える必要があります。コロナにより信仰生活の変化は多くの不測の事態を招いています。予測していたよりも長引き、深刻化し、これまでの対面中心であった教会生活が非対面を余儀なくされているのです。
オンライン礼拝
オンライン礼拝を危惧される声が高まっています。それはオンライン礼拝が、説教者も信徒も集中するのが難しく、また伝わりにくく、信仰の個人化を深刻化させるのではないかという憂慮からです。この点においては牧師のより一層の努力が求められています。オンラインですべてが賄えると思えませんが、対応しなければならない中、どのように最善を尽くすべきかを考える必要があると思います。このような現状の中でオンラインに親しく慣れている若い世代のDigital native がいるという
ことも勘案し、「今この働きのためにオンラインが良いか、オフラインが良いか」を判断する必要があると思われます。
教会はこの危機を打開出来るのか
2千年のキリスト教歴史をみると、今より困難な時代もありました。しかし、教会はなくならず、絶えず新たにされて来ました。T.S. ライナー博士〔Church Answer の設立者〕は、ポストコロナの教会の未来を肯定的にみています。その根拠は「使徒の働き」にあると言います。イエス様が昇天され
る前「地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)と言われたにもかかわらず、弟子たちはエルサレムに留まり続けました。彼らが動いたのは、迫害があってからでした。“迫害というパンデミックは教会に警鐘を鳴らしたのかもしれません。教会は動くでしょう”。
日本の教会は、対面による信仰生活が大半でしたが、時代は加速的に変わり、以前の形を踏襲しようとしても間に合わないことが生じ始めています。
このような変化を真剣に考える必要があると思います。それで「オンラインとオフラインのつなぎ」をどうすればいいのかが課題となります。米国のサドルバック教会は、15年前から、オフランでのすべての働きをオンラインでも構築し、オンラインで説教、養育、小グループの活動を可能にしました。それに止まらず、オンラインでの信徒をオフラインでも集まるように勧めている。サドルバック教会のように、オンラインの働きが特殊ではなく、育んでいくべき宣教的働きの一環であると
言えるでしょう。
集まりにくいコロナ禍の中の伝道
“接触”という概念は“face to face”ですが、若者はむしろそのような触れ合いを好まない傾向があります。オンラインやYouTube 等の非対面接触に入れ替わっているのです。しかしオンラ
インによる非対面の頻度が増えてくると、その物足りなさを感じて再びヒューマンタッチに戻る傾向があるのも事実です。このような流れに気づき、オン・オフライン上でどう対応すべきかを考える必要があるでしょう。従来では、礼拝やイベントに人を招いて活動しました。しかしこれからは、信徒の生活現場において求道者と出会い、関わりを持ち、信頼を積み上げ、福音を伝える働きが重要となります。コロナ禍の状況は今までの教会の働きを再考するチャンスを与えたのです。関係性をもっ
て伝道するときその関係性の中で、オンラインでつながる人、オフラインでつながる人それぞれいるのです。色々制限はありますが、道が閉ざされているわけではありません。福音伝道の情熱を持ち、教会で個人で福音を伝えようと考えるなら、新しい道は開かれると信じます。
2019年 巻頭言
「その時、誰を見るのか」
伝道局長: 澁谷 友光師
素晴らしい救い主の御名を心から賛美致します。
いつも国内伝道部の働きを覚え、お祈りとご協力をくださり心から感謝いたします。
苦しい時、あなたはどこに目を向け、誰を見ていますか?
「苦しい時は私の背中を見なさい。」これは、女子サッカーチーム「なでしこジャパン」の澤穂希選手が、かつてチームメイトに言った言葉です。このようなリーダの存在があって、2011年 FIFA 女子ワールド・カップで、見事 日本の「なでしこジャパン」は、いくつもの試合を勝ち抜き優勝できました。
しかし、サッカー界も伝説の大先輩が引退しました。様々な業界が「世代交代」を考え、悩み、苦闘しています。しかし、私たちキリストの体である教会は感謝しようではありませんか、なぜならどのような時でも共にいて、私たちを励まし続けてくださるイエス・キリストがおられるのです。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」ヘブル人への手紙 13章 8節
通常の人間心理であるなら、苦しい時 逆境などに目が奪われ、心理的にも益々苦しくなってしまいます。
第一サムエル記17章にペリシテ人と戦うイスラエルの姿が出てきます。しかし、身長が6キュビト半もある大男でペリシテ軍の代表戦士のゴリヤテの前に、イスラエルの軍隊は圧倒され萎縮し、戦う意欲さえ無くしてしまっているのです。大男の姿と、彼が発する大声とその言葉にのまれ、勝つことを全くイメージできなくなっているイスラエル軍の姿がそこにあります。
サタンは、私たちの目が何を見ているかが肝心であるのを知っていて、イエス様から目を外らせ信仰を奪い、失望の中に陥らせようとするのです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
ヘブル人への手紙 12章 2節
なでしこジャパンの選手たちは澤穂希選手の背中を見て、「自分たちの仲間には澤さんが居て、戦ってくれているんだ。と思い、心萎えることなく、実力以上の力を発揮し、大切な試合で勝利できた。」と語っています。 また「なでしこジャパン」の快挙は、3.11の東日本大震災で希望を失い、暗く悲しい日本のムードを一変させ、大きな励ましを日本中に与えてくれました。
2024年に教団創立75周年を迎えようとしているJAGにも「苦しい時には私の背中を見なさい」と、言ってくださるような大先輩の先生方がおられることを感謝したいと思います。
私は開拓当初から、先輩の先生方の伝道談や牧会経験に基づく知恵を聞く時、改めてこの教団で大きな励ましを受け共に働けることを感謝してきました。
JAGの大きな財産は、何と言っても主を愛し教団を想い、労してくださった先生方が大勢おられことと、その御ひとりびとりの経験と知恵だと思います。信仰の遺産とも言える良きものを引き継ぎ、困難を覚えるこの時代に効果的な働きを進め、主の栄光を見ていこうではありませんか。そして何よりも、最も素晴らしい模範である主イエスから目を離さないようにしていこうではありませんか。「創始者」の言葉には「指導者」「君」「源」「導き手」等の意味が含まれています。キリストは私たちの「先導者」でもあるのです。
昨日も今日もいつまでも変わることのない主が、「創始者」であるとともに「先導者」としても共に戦い導いてくださることを感謝し、従い倣っていこうではありませんか。ハレルヤ!