伝道ジャーナル
2022年 巻頭言
「新しい力を受ける」イザヤ40:28~31
総務局長: 天野 弘昌師
リフレッシュカンファレンスに参加する時に、青い海、青い空の沖縄を満喫しよう!!と期待して参加しました。ところが直前の諸事情により、開会メッセージを担当する事になり、凛と緊張感が走りました。真のリフレッシュとは?と問われ、祈りの中で与えられたのがこの聖句です。
イザヤ預言は『慰めよ、慰めよ、わたしの民を』主からの慰めのメッセージです。また良き訪れを伝える事こそ真の希望に至ると語ります。この聖句の中で、特に注目したいのは31節です。『走ってもたゆまず、歩いても疲れない』と。えっ、そんな事が、現実の地上の歩みの中にあるんだろうか?むしろこれはメシア王国、神の国、千年王国、栄光のからだの事?と、解釈する事もあるのかもしれません。
しかし先日教会に招聘した、巡回されている主の御器に圧倒されました。89歳という年齢ですが、少しもそれを感じさせない立居振る舞いでした。その理由を確認したら、次の3点を伺いました。
⑴ 1日、350gの野菜を食べる事。
⑵ 1日、一万歩以上を歩く事。
⑶ 1日、聖書と祈りの時間を持つ事。
これが、師の隠された秘密と聞きました!!大病を患った60代から、今に至るまで続けていますと。福音宣教の為に生かされる時に刷新され、主の力に満たされるのではないでしょうか?
イスラエルの民はエレミヤの預言通りに、バビロン捕囚から解放され、喜び勇んで帰還しました。しかしその後、民は混乱に巻き込まれてしまいます。すると新たな目標設定をし、民を奮い立たせようとしたのが祭司エズラや指導者達でした。それでも妨害や生活苦に陥り、気力さえ萎えてしまいます。まさに牧会伝道者も陥る、教会等の問題にも類似しているように思えてなりません。では、いったいどうしたら真の意味で解放され、霊的にリフレッシュされるのでしょうか?
イザヤ書は、40:31で『新しく力を得、鷲のように翼をかって上る事ができる。』と記しました。この『新しい力』とはまさに異次元の力(刷新)→ヘブル語(ホーアッハ:権力、権能、能力)なのです。では、この『新しい力』は、どのようにしたら私達に与えられるのでしょうか?
それは明確に、『主を待ち望む者は!』とあります。(ホーアッハ→ハーラフ(使役形):衣替え、重めの服を脱ぎ着替える。)と。それ故に、『走ってもたゆまず歩いても疲れない(力)』になるのです。アーメン!!私達に最も必要なのは、この異次元の天的な力の賦与だと信じます。
さらに『鷲のように翼をかって上ることができる』この『翼』は文字通り、異なった羽(カーナフ:神のことば)です。神のことばの権威と力によって、新たに変えられる。あたかも青虫が蛹になり、そして美しい蝶に羽ばたくように。
かつて重責とストレスの中、あまりにも忙殺されたゆえに、体調に異変を来し、心身共に疲弊しました。燃え尽き、鬱的な症状なのかなぁ?とも案じました。そんな折にある先生からの誘いで、米国の神学校に暫く滞在しました。その時に私の状態は、燃え尽きや鬱ではなく信仰的転換期です!!と診断されたのです。本当に心が軽くなり帰国しました。
専門の教授が、鷲の生涯についても語られました。鷲には2つの選択肢があり、1つは40年位してそのまま死ぬか?それとも一新して意気揚々と生かされるか?このチャレンジを信仰的に受け止めました。するとその時を起点に、心身共に徐々に良くなり始め、今日に至ります。牧会伝道に携わる先生方は、是非この新しい力を受け、刷新される必要があるのではないでしょうか?
さらに主を待ち望み、霊的にもリフレッシュされますようにと心からお祈りします。
2021年 巻頭言
「WITHコロナ時代の伝道を考える: 本質を失わず、新しく始める」
国内伝道部長: 姜 一成 師
今私たちは、ウィズコロナ、ポストコロナ時代を見据えてこれからの伝道を考える必要があります。コロナにより信仰生活の変化は多くの不測の事態を招いています。予測していたよりも長引き、深刻化し、これまでの対面中心であった教会生活が非対面を余儀なくされているのです。
オンライン礼拝
オンライン礼拝を危惧される声が高まっています。それはオンライン礼拝が、説教者も信徒も集中するのが難しく、また伝わりにくく、信仰の個人化を深刻化させるのではないかという憂慮からです。この点においては牧師のより一層の努力が求められています。オンラインですべてが賄えると思えませんが、対応しなければならない中、どのように最善を尽くすべきかを考える必要があると思います。このような現状の中でオンラインに親しく慣れている若い世代のDigital native がいるという
ことも勘案し、「今この働きのためにオンラインが良いか、オフラインが良いか」を判断する必要があると思われます。
教会はこの危機を打開出来るのか
2千年のキリスト教歴史をみると、今より困難な時代もありました。しかし、教会はなくならず、絶えず新たにされて来ました。T.S. ライナー博士〔Church Answer の設立者〕は、ポストコロナの教会の未来を肯定的にみています。その根拠は「使徒の働き」にあると言います。イエス様が昇天され
る前「地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)と言われたにもかかわらず、弟子たちはエルサレムに留まり続けました。彼らが動いたのは、迫害があってからでした。“迫害というパンデミックは教会に警鐘を鳴らしたのかもしれません。教会は動くでしょう”。
日本の教会は、対面による信仰生活が大半でしたが、時代は加速的に変わり、以前の形を踏襲しようとしても間に合わないことが生じ始めています。
このような変化を真剣に考える必要があると思います。それで「オンラインとオフラインのつなぎ」をどうすればいいのかが課題となります。米国のサドルバック教会は、15年前から、オフランでのすべての働きをオンラインでも構築し、オンラインで説教、養育、小グループの活動を可能にしました。それに止まらず、オンラインでの信徒をオフラインでも集まるように勧めている。サドルバック教会のように、オンラインの働きが特殊ではなく、育んでいくべき宣教的働きの一環であると
言えるでしょう。
集まりにくいコロナ禍の中の伝道
“接触”という概念は“face to face”ですが、若者はむしろそのような触れ合いを好まない傾向があります。オンラインやYouTube 等の非対面接触に入れ替わっているのです。しかしオンラ
インによる非対面の頻度が増えてくると、その物足りなさを感じて再びヒューマンタッチに戻る傾向があるのも事実です。このような流れに気づき、オン・オフライン上でどう対応すべきかを考える必要があるでしょう。従来では、礼拝やイベントに人を招いて活動しました。しかしこれからは、信徒の生活現場において求道者と出会い、関わりを持ち、信頼を積み上げ、福音を伝える働きが重要となります。コロナ禍の状況は今までの教会の働きを再考するチャンスを与えたのです。関係性をもっ
て伝道するときその関係性の中で、オンラインでつながる人、オフラインでつながる人それぞれいるのです。色々制限はありますが、道が閉ざされているわけではありません。福音伝道の情熱を持ち、教会で個人で福音を伝えようと考えるなら、新しい道は開かれると信じます。
2019年 巻頭言
「その時、誰を見るのか」
伝道局長: 澁谷 友光師
素晴らしい救い主の御名を心から賛美致します。
いつも国内伝道部の働きを覚え、お祈りとご協力をくださり心から感謝いたします。
苦しい時、あなたはどこに目を向け、誰を見ていますか?
「苦しい時は私の背中を見なさい。」これは、女子サッカーチーム「なでしこジャパン」の澤穂希選手が、かつてチームメイトに言った言葉です。このようなリーダの存在があって、2011年 FIFA 女子ワールド・カップで、見事 日本の「なでしこジャパン」は、いくつもの試合を勝ち抜き優勝できました。
しかし、サッカー界も伝説の大先輩が引退しました。様々な業界が「世代交代」を考え、悩み、苦闘しています。しかし、私たちキリストの体である教会は感謝しようではありませんか、なぜならどのような時でも共にいて、私たちを励まし続けてくださるイエス・キリストがおられるのです。
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」ヘブル人への手紙 13章 8節
通常の人間心理であるなら、苦しい時 逆境などに目が奪われ、心理的にも益々苦しくなってしまいます。
第一サムエル記17章にペリシテ人と戦うイスラエルの姿が出てきます。しかし、身長が6キュビト半もある大男でペリシテ軍の代表戦士のゴリヤテの前に、イスラエルの軍隊は圧倒され萎縮し、戦う意欲さえ無くしてしまっているのです。大男の姿と、彼が発する大声とその言葉にのまれ、勝つことを全くイメージできなくなっているイスラエル軍の姿がそこにあります。
サタンは、私たちの目が何を見ているかが肝心であるのを知っていて、イエス様から目を外らせ信仰を奪い、失望の中に陥らせようとするのです。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」
ヘブル人への手紙 12章 2節
なでしこジャパンの選手たちは澤穂希選手の背中を見て、「自分たちの仲間には澤さんが居て、戦ってくれているんだ。と思い、心萎えることなく、実力以上の力を発揮し、大切な試合で勝利できた。」と語っています。 また「なでしこジャパン」の快挙は、3.11の東日本大震災で希望を失い、暗く悲しい日本のムードを一変させ、大きな励ましを日本中に与えてくれました。
2024年に教団創立75周年を迎えようとしているJAGにも「苦しい時には私の背中を見なさい」と、言ってくださるような大先輩の先生方がおられることを感謝したいと思います。
私は開拓当初から、先輩の先生方の伝道談や牧会経験に基づく知恵を聞く時、改めてこの教団で大きな励ましを受け共に働けることを感謝してきました。
JAGの大きな財産は、何と言っても主を愛し教団を想い、労してくださった先生方が大勢おられことと、その御ひとりびとりの経験と知恵だと思います。信仰の遺産とも言える良きものを引き継ぎ、困難を覚えるこの時代に効果的な働きを進め、主の栄光を見ていこうではありませんか。そして何よりも、最も素晴らしい模範である主イエスから目を離さないようにしていこうではありませんか。「創始者」の言葉には「指導者」「君」「源」「導き手」等の意味が含まれています。キリストは私たちの「先導者」でもあるのです。
昨日も今日もいつまでも変わることのない主が、「創始者」であるとともに「先導者」としても共に戦い導いてくださることを感謝し、従い倣っていこうではありませんか。ハレルヤ!